腕が上がらない、肩が痛い。その訴えに対して、私たちはまず何を見るだろうか。画像所見、ROM、徒手筋力検査。もちろんそれらは大切だ。だが、肩関節のリハで「一つだけ持ち帰るなら」と問われたら、私は迷わずこう答える。──「前鋸筋と僧帽筋下部を、使えるようにすること」。肩が痛い・上がらない患者さんを診る時、僕は肩そのものを触る前に、この2筋を疑うようになった。

1. 腕が180°上がる仕組み

腕の挙上は、肩関節(GH関節)だけで完結しない。最大挙上180°のうち、約120°は肩関節の屈曲・外転、残りの約60°は肩甲骨の上方回旋による。Inmanら(1944)が報告した、いわゆる「scapulohumeral rhythm」で、その比率は約2:1。挙上初期(おおむね0〜30°)は肩関節(GH)主体だが、最終可動域に近づくほど肩甲骨上方回旋の貢献が増す。つまり腕が頭の上に届くまでには、肩甲骨が約60°回ってくれなければならない。肩そのものをいくら触っても、肩甲骨が回らない限り、腕は180°に届かない。

2. 肩甲骨を上方回旋させる筋は、たった3つ

ここで一度、解剖学的に整理しておきたい。肩甲骨には数多くの筋が付着しているが、上方回旋を起こす筋は、教科書的にたった3つだけだ。

この3筋が、肩甲骨の3点をそれぞれ異なる方向に引っ張ることで、肩甲骨は1点を軸に回旋する。下角は外側へ、関節窩は外側上方へ向く ── これが上方回旋(約60°)だ。

僧帽筋を後面から見た解剖レンダー。上部をオレンジ、中部をレッド、下部をマゼンタで色分け。
a. 僧帽筋(後面)
上部=オレンジ/中部=レッド/下部=マゼンタ
前鋸筋を前面から見た解剖レンダー。肩甲骨は半透明表示。
b. 前鋸筋(前面)
肩甲骨は半透明表示
前鋸筋を側面から見た解剖レンダー。肩甲骨は半透明表示。肋骨の上を走る指状の起始がよく見える。
c. 前鋸筋(側面)
肩甲骨は半透明表示
上方回旋を起こす 僧帽筋(上部・下部)前鋸筋。僧帽筋上部が肩峰を上げ、下部が肩甲棘の内側端を下げ、前鋸筋が下角を外側・前方へ引く。この異なる向きの力が組み合わさって 上方回旋 が生まれる。なお図の 中部(レッド) は主に肩甲骨を内転させる線維で、この上方回旋の force couple には直接関与しない。 画像: 僧帽筋前鋸筋(前面)前鋸筋(側面) by Anatomography(BodyParts3D, © DBCLS), CC BY-SA 2.1 JP, via Wikimedia Commons

これが force couple(偶力) ── 2つ以上の筋が、肩甲骨の異なる位置に異なる方向から作用することで、純粋な回旋を生み出す力学的仕組みである。物理学では、大きさが等しく反対方向の2力が異なる作用点に働くと、物体は並進せずに回転だけを起こす。これを偶力(couple)と呼ぶ(Inman 1944 / Kibler 2003 / Ludewig 2009)。

よくある誤解

「肩甲骨に付着している筋=肩甲骨を動かす筋」と直感で思いがちだが、付着部位と作用方向の組み合わせで決まる。上方回旋には関与しない筋を整理しておく。

つまり「上方回旋」を起こせる筋は、僧帽筋上部・下部・前鋸筋の 3つしかいない

3. その3つのうち、サボっているのはどの筋か

ここからが臨床の話だ。3つの筋のうち、僧帽筋上部はほぼ常に「使われている」。痛みや不安、姿勢の崩れがあると、肩は反射的にすくむ。僧帽筋上部はむしろ「使われすぎて代償的に優位」になっていることが多い。

つまり臨床現場でサボっているのは、ほとんどの場合、前鋸筋と僧帽筋下部の2つだ。3筋協調が必要なところで、上部だけが空回りし、残り2筋が動員されない。だから肩甲骨は十分に上方回旋しない。腕が頭の上に届かない。肩が上がらない患者さんを診る時、僕がこの2筋を疑うのは、そういう理由による。

4. なぜこの2筋がサボるのか

サボる背景は、2筋それぞれで違う。

前鋸筋がサボる理由

僧帽筋下部がサボる理由

どちらも構造的に違うが、起きていることは同じだ。「動かないから弱る、弱るから動かない」の悪循環に入っている。

5. アプローチは「肢位を変える」

ではこの2筋を、どう使えるようにするか。教科書的には「肩甲骨セッティング」「ウォールスライド」のような決まった肢位での介入が紹介される。だが臨床では、同じ筋でも肢位を変えると効きが変わることを念頭に置きたい。

1つの介入を全員に同じ肢位で、ではない。患者の段階に応じて、肢位を選び、進めることが要る。例えば、痛みが強くて挙上できない段階では仰臥位で動きの学習から入り、無痛で動けるようになったら座位で実動作に近づける。最終的には立位での実動作(リーチ、ものを取る、洗濯物を干す)へ繋げていく。「どの肢位で、どの筋を引き出すか」を選べるようになると、同じ2筋でも介入の解像度が一段上がる。

6. まとめ

「腕が上がらない」を見たら、肩そのものを触る前に、この2筋を疑う。

そして、ポジション(肢位)を変えて、選び、進める。肩は、単独で動く関節ではない。肩甲骨という土台が回ってくれなければ、腕は届かない。そしてその土台を回しているのは、肩そのものではなく、もっと内側で静かに働いている筋たちだ。

参考文献